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「公募社長」奮闘500日

2014/01/10

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赤字ローカル線の再建

各地の赤字ローカル線で、人材不足から経営者の公募が相次いだ。
赤字脱却は道半ばだが、企業体質の改善には一定の成果も出ているようだ。
「公募社長」を迎えて1年たった兵庫県・北条鉄道を訪ねた。

「北条鉄道が社長を公募」。新聞記事の募集要項が目に飛び込んできたのは2009年の10月のことでした。私は兵庫県西宮市で育ち、子供の頃から鉄道好きでした。いわゆる「乗り鉄」です。
高校2年生の時、友達と国鉄加古川線の支線をすべて乗ろうとやってきたのが北条鉄道の前進である国鉄北条線。
記事を見た途端、当時を思い出し居ても立ってもいられなくなりました。
私は地方銀行勤務の後、コンサルタント会社で事業再生業務に携わり、その縁からペガサスミシン製造(大阪市)に入社し内部統制の仕事にも関わっていました。
その仕事もほぼ終え、もう一度コンサルタントの世界に戻るかどうか考えている矢先だったのです。

再建途上の不祥事

北条鉄道はその路線の大半が兵庫県加西市にあります。そのため、社長は中川暢三・加西市市長が務めていました。私は中川市長の面接を受け、幸い50人余りの応募者の中から選ばれました。
次期社長候補として副社長に就任したのは2010年3月のことです。
丹波山系から播磨灘へ、加古川という大きな川が注いでいます。加古川に沿うようにさかのぼっているのがJR加古川線。この加古川線には、さらに4つの支線がありました。河口近くから西へ向かう高砂線、反対に東へ向かう三木線、山間の兵庫県西脇市から北に上る鍛冶屋線、そして北条線です。
今は北条鉄道を除きすべて廃線になりました。
北条鉄道はJR加古川線の「粟生」から北西に終点の「北条町」まで8駅13.6kmの単線です。日中は1両、朝夕の通勤通学時は2両編成のディーゼル列車が1日17往復します。片道22分。沿線はのどかな田園風景が続きます。全国区になるような観光地も温泉街もありません。粟生までは最も速いルートで大阪から1時間20分。JR加古川線で粟生まで行く電車の運転間隔は1時間に1本。乗り継ぎが悪いと加古川線に乗るのにさえ1時間近く待つことになります。本線に接続されていない悲哀を感じます。
前身である国鉄北条線は1915(大正4)年の全線開業以来、山田錦と呼ばれる酒造米や、播州織の繊維素材を運び、昭和以降は三洋電機の発祥の地である北条工場への通勤列車として栄えました。しかし、通勤のモータリゼーションもあり、徐々に輸送人員は減りました。
80年の国鉄再建法で輸送密度(1日1km当たりの乗客数)4000人未満の路線は「特定地方交通線」に指定されました。当時、輸送密度1600人余りだった北条線は第1次廃止対象路線に選定されます。しかし、根強い保存運動もあり85年に国鉄から転換し、加西市や兵庫県、小野市、金融機関などが出資する第3セクターとして開業しました。
加西市の中川市長は2005年に北条鉄道の社長に就任し「北条鉄道の維持と再生」を宣言して改革に乗り出しました。
これまで外部に発注していたため、重い負担になっていたレールや枕木などの修繕費を内製化してコスト負担を軽減したり、ボランティアの駅長を募集して駅の中でイベントを開いたり、集客のためのPR活動もしました。
けれど、不祥事がこうした活動に水を差しました。
2009年に当時の取締役の1人が会社のお金150万円を着服していたことが発覚したのです。
経理担当だったこの取締役は、自分の報酬を水増しして過大に受け取っていました。実は北条鉄道が社長公募に踏み切った背景には、この事件があったのです。

もうすぐ女性運転士誕生

北条鉄道のガバナンス(企業統治)には無理がありました。
社長である中川氏は市政が忙しく、業務の現場には立てません。代行して経営を任せていたのは当時の専務で、元JRの駅助役クラスです。駅務には通じていても、取締役として経営が分かるとは言えません。当然、経理もチェックできず、惰性で契約を続けていた公認会計士の手元も素通りとなりました。「起こるべくして起きた事件」だったのです。この専務も事件後に退社しました。
さて、実質社長として昨年3月に副社長に就任した私は、皮肉ながら自分が得意とする内部統制から手をつけざるを得ませんでした。まず、誰がどの範囲の権限を持つのかを決める「決済規定」を作りました。従業員14人の小さな会社ですが、私が決めること、社長が決めること、取締役会が決めることの3点を明確にしたのです。

次に社員の高齢化への対処です。北条鉄道のような第3セクターは、運転手などの重要職務の人材をJRに頼っていました。60歳ぐらいのベテラン運転士はJRを退職してから年金支給までの間、北条鉄道に来てくれてます。
人材育成の手間がかからず、人件費も抑えることができます。定年も60歳から65歳に引き上げ、私が来た時、7人いる運転士のうち4人が60歳以上。うち2人が65歳を超えていました。
それでもJRから人材が補充されるうちはよかったのですが、電化が進んだJRではディーゼル車の資格を持つ運転手がほとんどいなくなってきました。ずるずるとベテランに依存する気持ちを改めるためにも、高齢社員の身分を変えました。待遇は変わりませんが65歳以上を嘱託職員とし、年度ごとの更新にしました。
同時にプロパー職員の養成を始めました。昨年入社した黒川順子さん(26歳)は今年3月にディーゼル車の筆記試験をパスし、今は技能試験のための「仮免」練習中です。幸い嘱託職員となった運転士の1人が国鉄時代に教習所の教官を務めていた経験の持ち主で、若手育成に打ってつけでした。早ければ6月中にも北条鉄道初の女性運転士が誕生します。

「上下分離」で黒字化目指す

北条鉄道の現在の輸送密度は1日650人程度です。年間の輸送人員は30万6715人(2010年度)、第3セクター転換当時(1985年)の36万8025人をピークに漸減傾向です。加西市の人口もこの間に5万3000人から4万8400人に減っており、生活路線として乗客数が減るのは避けようがありません。
「乗る客」ではなく、「乗りに来る客」を集めることが課題です。
ボランティア駅長やイベント列車など、集客の試みは中川社長が路線を敷いてくれたため一定の効果が出ています。
これに加え、私はネット戦略を強化しました。まず、素人っぽかったホームページをリニューアルし、しっかりとしたものに変えました。ブログも立ち上げ、楽天にも出店しました。北条鉄道ブランドのハチミツやサイダーなどを売っています。副収入を目当てにしているわけではなく、広告・認知の手段です。全国の鉄道マニアだけでなく、全国の「ハチミツ好き」「サイダー愛好家」が北条鉄道に興味を持つ可能性もあります。
トンネルのない、22分ののどかな田園風景も売りにできると思います。沿線の「法華口」「播磨下里」「長」の3駅は、大正時代に建てられた古い木造駅舎です。この3駅は文化財登録を検討中です。
今年3月、大阪から城崎温泉に向かうJR福知山線の特急「北近畿」が車内販売を廃止する、というニュースを読み「これだ」と思いました。早速西日本旅客鉄道(JR西日本)側と交渉し、「北近畿」で使っていた車内販売のステンレス製ワゴン3台を無償でもらい受けました。
ワゴンに飲み物や特製弁当、ハチミツやサイダーなどのグッズを満載して車内で女性社員に売り歩いてもらったら、外の田園風景とマッチした楽しいトリップを提供できるのではないか。冷たいサイダーやビールも提供できます。こんなことに備え、酒販免許は既に取得済みです。ただ、1両しかない列車ですから、あまり頻繁に売り歩くとお客様を不快にさせかねません(笑)。片道せいぜい2往復ぐらいか、と考えています。
2011年3月期の北条鉄道の業績は、昨年10月に始めた子ザル駅長イベントなどの効果で旅客収入が516万5000円増加し、売上高は前期比526万1000円増の7325万6000円となりました。ただ、駅舎や線路、車両などの修繕費が重く、粗利段階で800万円の赤字。これに固定資産税がのしかかり、経営損益ベースでは1573万1000円の赤字です。それでも累積損失はゼロです。
なぜなら第3セクター発足時から加西市の条例で、経営赤字分は市が一般会計で補填してくれることになっているからです。市におんぶに抱っこの鉄道と言わざるを得ません。わずかな額でも黒字を出す普通の会社にしたい。そうなれば社員の士気も上がるでしょう。
そのために上下分離を一刻も早く実現したい。上下分離とは鉄道のインフラである駅舎や路線とその土地、そして車両などの資産を分離することです。資産を市などの公的セクターに買い上げてもらえば、固定資産税や修繕費の呪縛から開放されます。資産とはえい、市が買い取れば財政に一時的なダメージを与えることになるのは承知しています。それでも資産を持たない鉄道サービス会社として再出発することが、会社にとっても利用客にとっても健全な形なのです。

鉄道会社概要経緯公募社長と前職
山形鉄道
(山形県長井市)
「赤湯」~荒砥」間30.5km17駅
輸送人員696人/日
1923年全線開業、88年国鉄から転換、山形県、長井市、南陽市ほか沿線各市町村や金融機関が出資 野村浩志氏
2009年4月就任。読売旅行で各種旅行企画に携わる
ひたちなか海浜鉄道
(茨城県ひたちなか市)
「勝田」~「阿字ヶ浦」間14.3km9駅
輸送人員1128人/日
1928年全線開業、2008年茨城交通から分社。ひたちなか市と茨城交通が出資 吉田千秋氏
2008年4月就任。富山地方鉄道、加越能鉄道を経て万葉線の設立に携わる
いずみ鉄道
(千葉県大多喜町)
「大原」~「上総中野」間
26.8km14駅
輸送人員604人/日
1934年全線開業、88年JRから転換、千葉県、大多喜町、いすみ市、金融機関が出資 鳥塚亮氏
2009年6月就任。外資系航空会社
北条鉄道
(兵庫県加西市)
「栗生」~「北条町」間
13.6km8駅
輸送人員654人/日
1915年全線開業、85年国鉄から転換、加西市、兵庫県、小野市、金融機関が出資 松本孝徳氏
2010年3月副社長就任。事業再生コンサルタント
新市長に理解を望む

私を採用し、二人三脚で改革を進めてきた中川社長は5月の市長選で敗れ、6月21日に任期を満了します。新市長の西村和平氏も北条鉄道の安全性や利便性の向上にひとかたならぬ強い思いを寄せられています。私はこれら新旧両市長の北条鉄道に対するご理解、地元のご理解が存続の大きなカギだと感じています。
北条鉄道と同じくJRから転換して第3セクター運営となった三木鉄道は、選挙戦で財政再建を公約に掲げた市長により、2008年に廃線となりました。
皮肉なことに、三木鉄道の廃線を聞いた鉄道マニアが全国から集まり、ついでに北条鉄道に乗ってくれたおかげで、北条鉄道の2008年度決算は「三木鉄道廃線特需」に沸きました。線路標識や保線器具などたくさんの放出物資を譲ってもらいました。1路線の廃止でこれだけの物資が出るのだなと、譲ってもらっておきながら、正直複雑な気持ちでした。
鉄道とはこんなにお金のかかるものだと就任前には知りませんでした。しかし、ひとたび廃線となると小さな町や村は駅とともに地図から消えてなくなってしまうのです。それを失った時にどれだけの喪失感を味わうか。廃線になった町や村に住んでいる人々の心の中にその答えはあると思います。